2019年4月19日金曜日

独力に頼るより

───ヨガの行者の中には、霊との交信は危険であり有害であると言う人がいます。そして彼らは、背後霊の援助なしに直接的に神との交流をもつのだと言います。それが事実だとすると、スピリチュアリズムはなぜ指導霊などの世話にならなければならないのでしょうか。

「もしも宇宙の最高神と直接の交流がもてるとすれば、指導霊のような中間的存在は無用となるでしょう。が、そんなことが出来るかのごとき言葉を耳にすると、私は、言いたくないのですが、〝キザな霊的俗物根性〟の響きを感じずにはいられません。
私たちは、地上の人間であろうとこちらの世界の者であろうと、みんな大霊の子です。・・交信ができるのは、各自が到達した霊性開発の熟達度に応じた範囲内のことであって、至高の極致など、とんでもありません。
もちろん、より高いものを求めるのは結構なことです。が、それも日々の生活で獲得する進化によって初めて可能なのです。
・・・大霊との触れ合いの問題ですが、それも各自の霊的発達に関わる問題です。・・どの程度の触れ合いができるかとなると、それは各自の霊的発達の程度によって違ってきます。・・・各自が最善と思える方法によって、霊的啓示という目標に向けての手段を講ずることです」『シルバーバーチ 最後の啓示 p86』

>霊界の助力を求めず、大霊への祈りもやめて、独りで霊性を開発できるかどうか。

という質問に対してのシルバーバーチの見解は上記を読んで・・・ね。

独りで霊性を開発することって、やっぱり無理だと思うの。

霊界を無視して独力で頑張っても、空中浮遊とかスプーン曲げとか、人の役に立たない必要のないサイキックな能力ばかりが伸びそう・・・。

霊界と地上がお互いに手を取り合って、大霊の子に相応しい努力していくのが大霊の定めた法則なんじゃないかなあ・・
だって、自然法則のベースは「協調」だもの。

同じように、高い霊性の人と、低い霊性の人が混在しているのは地上だけだから、その混在の状況でお互いに手を取り合って、ともに霊性を発達させるのが神の御心だと・・。