2019年2月6日水曜日

盲信

たとえばキリスト教では、自分たちで勝手にこしらえた教義を盲目的に受け入れた人のことを善人のような言い方をします。が、実は、それは人間の宗教性の本質を窒息死させる行為にも等しいものです。なぜかと言えば、それではその後の人生は何をやっても“善人”であることを保障することになるからです。自分では正しいと信じていても間違っております。そういう人工的な規準とはまったく関係のない“基本的善性”というものが存在します。あとに残るのはその基本的善性の方です。倫理・道徳には二種類あります。政治的道徳、経済的道徳、伝統的道徳といった類が一つ。もう一つは霊的要素によって決まる道徳です。あとに残るのは霊的要素のみです」
『シルバーバーチ 霊的新時代の到来 P28』

宗教だろうとスピリチュアリズムだろうと、とにかくなんだろうと盲信は最大限に危険だと思う。
だって、盲信することって霊的な道徳をいとも簡単に飛び越えてしまうから。

「霊」に関することって最高で最奥のものだからこそ、最大限の理性が必要だと思う。

人は僅かの霊的真理しか手にしていないのだから、理性を土台にして人類全ての共通項を追求し続けなきゃ!