2021年1月29日金曜日

内在の光

私どもは幾世紀にもわたり、魂の旅路を看守します。すると、困難な地上経験を通過していく魂の姿が目に見えます。しかし、また私達には見えるのです、一つ一つの人生において、光が吸収されていくさまが。それは人間の愛を通じてのようです、たとえその表現が粗野であっても、あの光が魂の中に入って行くのです。すなわち、花への愛、動物への愛、そして人々の捧げられる愛。愛が内在の光を成長させつつあります。それと、苦しい環境に魂が正しく反応することもまた、内在の光を輝かせる元になっています。『ホワイトイーグル 光への道p32』

今、人類は困難な地上経験を通過している最中だと思う。

ということは、裏を返せば、愛がもっとも必要とされ、光が魂の中に一番入っていく時期でもあるということで。

地球の生命や環境に人間が正しく向き合えますように。
全ての困難な人々に大霊の愛と光が差し込みますように。

全ての生命に内在する光が成長しますように。

2021年1月27日水曜日

インスピレーショナルライティング<自由>

私は私のために生き、あなたはあなたのために生きる。
私はあなたの期待に応えて行動するためにこの世に在るのではない。
そしてあなたも、私の期待に応えて行動するためにこの世に在るのではない。
もしも縁があって、私たちが出会えたのならそれは素晴らしいこと。
たとえ出会えなくても、それもまた同じように素晴らしいことだ。『ゲシュタルトの祈り』

霊能養成ワークショップのメモ

ニーチェの思想から

ニーチェは「ツァラトストラ 三つの変化について」で
人の精神が変化していく象徴をラクダ→獅子→幼子の順にたとえる。
ラクダ・・・・義務
獅子・・・・新しい価値観
幼子・・・・全ての肯定
今の私は獅子に入ったところ。
*霊界の導きを信じる。
*闘わずして自由を手に入れる。

<インスピレーショナルライティングの即興メモ> 

真の自由というお題目での霊界からのインスピレーションでのメッセージは私的にはこんなかんじ!
「真の自由とは、あなたをとりまく一切の環境に左右されることなどありません。真の自由は自分の心の中で築くものです。地上がどのようであれ、地球の中心に何の波動を与えることが出来ないように、人の心の内奥に入るに従い穏やかな真の自由を獲得することができるのです。心の平和が真の自由の鍵です。」

 

<カードからその人なりを読み取る練習>
どのような人か。どのようなアドバイスが霊界からきているのか。最後に誰が引いたカードか。

ほとんどの受講生がパーフェクト!!
私もパーフェクトで嬉しい。伝わりやすいエネルギーが充満する空間だものね。
しかし、殆ど講師の力量かもしれん・・・・受講生への問いが的確すぎ!

2021年1月16日土曜日

治癒の祈り

全能なる神よ、慈悲あふれる神よ、無限なる善の神よ、どうか私のお祈りをお聞き届けください。そして、Cさんを癒すために、天使をおつかわしください。Cさんをお哀れみください。そして、Cさんが再び健康を取り戻せますように、よろしくお願いいたします。あなたなしには、私には何もできません。あなたのお心が成就されますように『カルディック 霊との対話 天国と地獄Ⅱ P203』

私がヒーリングするときに、まず最初に このお祈りを唱えるの。

私は何も出来ないの知ってるから、天使が来て下さるように、そして霊界からの援助を請うために。

そして次に、イメージだけど、ヒーリーのオーラと私のオーラを混ぜ合わせる。霊界から届けられる生命エネルギーが私からヒーリーに注がれるよう、そのための通路作り。

最後に、うんと自分のオーラを高く伸ばして霊界のエネルギーを受け取る。
いつも届くのは真っ白な光。そこから、様々なバリエーションとなるの。
ときには色々なビジョンが見えたりするけど、全て霊界と天使にお任せする。

私は何も出来ないけど、無限の大霊の御心を成就すべく、霊界が最大限の援助をして下さっているから、いつも感謝の思いしかない。

2021年1月3日日曜日

唯物論の泥沼

 あなたがたにとって、はじめはつらい悲しみに思われるものが、そのうち大きな機会であることが明らかになるでしょう。なぜなら、あなたがたの失望や悲しみを通してスピリチュアルを収穫する種がまかれるからです。
 だから元気を出してください。希望と勇気を持ち、空を見上げてください!決して、沼地を見て唯物論の泥沼に入ってはいけません。黄金の丘、神の黄金の王国を見上げてください。これは、あなたがたの力の源泉です。『ホワイトイーグル カルマの法則p157』


こうすれば良かったとか、私のせいでこうなったとか、自責の念ばかり頭をもたげてくるけど、自責の念は意味が無い。自責の念は唯物主義のトラップだもの。

トラップにひっかからないよう泥沼を見ない。たとえ私が悪いとしても。私が悪いという思いは霊的真理から外れるもの。誰も悪くない。みな地上で学ぶために生きているのだから。

人は産まれた環境も才能も肉体も運命も何も選べない。
だからどんな有り様でも、どんなに辛くても 上の星を見上げて行こう。